作者が思いつくまま、STKHのちょっとディープな部分を語るページ。外伝を読んだ上で目を通してくれると嬉しいかも。
更新は不定期 (06/06/25更新)。



ゲーム本編のストーリーを巡る覚え書き

メインコンセプト

 見栄も外聞もてらいもへったくれもなく、とにかく「自分自身が面白い」と思えるストーリー展開にするというのが、STKHを制作したときのまず第一のコンセプト。

 プロ・アマ問わず他人の目を意識して、ファミコン版ドラクエのヒット以来あきるほど使われてきた「和製中世風ファンタジー」を避けるというつくり手も多いのだろうけど、ワイキキはあえてそこで勝負してみることにした。
 というか、好きなものを創らないで何を創るのよ、という感じ。

 他ジャンルで名をあげた人が制作にとっぷりと浸かって世界観やストーリーづくりをしたゲームというと、「マザー」「イデアの目」「G.O.D.」があり、いずれも、プレイすると時間を忘れるほど面白かった秀作なのだけど、舞台が現代もしくは近未来テイストなところがワイキキには大いに不満だった。
 ドラクエやFFが好きだと広言し、ゲーム好きの有名人であることを喧伝しておきながら、何故直球勝負に行かないわけ? STKHには、ある意味、それらの作品に対するプロテスト的な思いも込められている。

 「王道路線」というしばりがある中、果たして自分に何ができるのか。
 「和製中世風ファンタジー」という枠の中に、ワイキキなりの作劇術を注入したらどうなるか。

 つくり手としてだけでなく、一ゲームプレーヤーとしても、とてつもなく興味深いことだった。

……まあ、ワイキキの場合まるっきり絵が描けない人間なので、SRPGツクールに添付されていたファンタジー調しかないサンプルを使わざるを得なかったということも大きかったのだけど、それはナイショ。

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STKH解題  NEW

 「螺旋」「憎まれし騎士」というイメージがまずあったので、ごくごく単純に、そこから「Spiral Tale, Knights Of Hate」というタイトルが生まれた。

 Spiralという単語があまりにも手垢にまみれているので、螺旋と書いてFoehnと読ませようかと考えたこともあったけど、山田正紀のモロパクリなのでさすがにそれは没。

 なお、グーグルなどでSTKHあるいは螺旋の騎士をキーワードにして検索してみると、よく似た名の同人サークルさんや「螺旋の騎士」という言葉が副題に入ったノベルを見つけることができる。
 STKHがコンテストで受賞し、このサイトを立ち上げた当初はいずれも引っかかってこなかったという経緯もあるので、たぶんこちらのほうが先なんだろうと思うけど、くだんのサークルや本のファンの人たちにはちょいと申し訳ない気も。

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最初から決めていたこと その1

 ラストバトルにおいて皇子達七人が「○○○○○○○」=「バタバタ死んで」いくのは制作当初から決めていた。STKHのストーリー全体が、主人公達が死ぬその時に向け、各人のエピソードを紡ぎ、キャラクターや生き様を描写したといっても言い過ぎではないと思う。

 かといって七人は、華々しく命を散らすのではなく、罠に陥れられたり毒にやられたりとあっけなく死んでゆく。主人公の蛙皇子にしたって突き詰めれば戦いにおいて倒れたのではない。おまけに彼らの死に様は史書に記されることもなく、一握りの後を継ぐ者達の記憶に残るのみ。

 これはもう完璧に作者の趣味の世界。
 作者の嗜好から物語を紡ぐ場合、こういったラストは外せなかった。

 人数の一致から「七人の侍」を想起する人も多いかと思うけど、作者が明確に意識したのは小学生の時分から愛読していた北欧神話、その終章である神々の黄昏(ラグナロク)。

 最高神オーディンや剛勇で鳴るトールが次々と討ち死にしていくあの感覚。
 神話全編を通じて華々しく活写されてきた神々が、ラストにてあっけなく死んでいく。

 邪の螺旋直属の螺旋魔将というキャラは神々の命を絶つフェンリル狼やヨルムンガンド、ロキの役割を与えたものだし、ジルらが皇子達の意思を継ぐというところは、ラグナロク後、数人の若い神が生き残り世界に希望が残ったということと符合する。

 ごくごく初期のプランだと、螺旋の騎士7人VS螺旋魔将7人を1マップで展開して両者相討ち、ジルら7人が力を受け継いで邪の螺旋を倒すというものだったけれど、話の盛り上がりを考えたら、完成版のほうで正解だったと思う。

 ゲームのバランスというかゲームデザインという観点からすると、それまで大事に育成してきたキャラが最終マップで使えなくなっちゃうのはいかがなものか。様々な意味で問題が残るところだろう。

 でも、まあ、はっきり言っちゃえば、ゲーム中どこかでどんでん返しをやらかしてプレイヤーを裏切りたいという意識もありありだった。最後の最後に行き詰まって、アタマからやり直したプレイヤーさん達にはひたすら深謝&リプレイを感謝するしかないけど、狙ってました。確信犯でした。

 考えてみてほしい。
 皇子達七人を失って途方に暮れたのは、まさにジル達がおかれたシチュエーションそのものじゃないだろうか? プレーヤーの何割かは、確実にジル達の想いを追体験できたんだよ。
 (すいません、言い訳です。)

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最初から決めていたこと その2

 もうひとつの「○○○○○○○」は「タイムトラベル」ということ。
 R・A・ハインラインの「夏への扉」はいうまでもなく、ボブ・ショーの「おれは誰だ」といった知られざる傑作など、昔から時間モノが好きだったので、それもストーリーの横軸に加えようと、はなっから考えていた。

 コンシュマーのRPGでもタイムトラベルを取り入れた作品は少なからずあるけど、上記小説のようなストーリー的見事さ、ある意味詩的衝撃にも通じる鮮やかさを感じさせたものはまずない。というか時間SFというと、「バックトーザフューチャー」あたりを手本(古典)だと勘違いしているつくり手がいまだに多いような気がする。
 古い例をあげれば、時間を真っ向から扱ったというふれ込みの「クロノトリガー」にしても、ゲームとしての面白さを別として、時間SFとしての練り込み具合、エピソードの紡ぎ方は非常にヌルい。
 スーファミのゲームで唯一うならされたのは、名作の誉れ高い「ヘラクレスの冒険II」。ほんのわずかの時しか逆行していないけど、時間モノのエッセンスが、今でも斬新と思える仕掛けにつながっている。

 ではSTKHはどうかというと……ん〜、あまりうまくいったとは言いがたいかな。

 最初の構想では、螺旋の渦に巻き込まれた皇子達がもっと多くの場面にタイムスリップして、過去における知られざる光景を目撃したり事件に介入したりするつもりだった。たとえば、ユー=ジーによる皇都の大虐殺で被害を抑えたり、ブローディガン落城で女王を救ったりなどなど。
 ところが、オーバーネームを取り戻したあたりで、そろそろ残りのマップ数が気になりだして、これらのプランはすべて没(SRPGツクール95には1ゲーム100マップ以内という仕様がある)。
 シーゲ&マナミ&カオルによる最涯ての騎士というユニットもかなり魅力的だったと思うけど、うまく活かせずひたすら残念。

 なお、PC98ゲームの世界で有名だった某SRPGでタイムトラベルが重要な要素となっていることを知ったのは、STKH完成後、今世紀に入ってから(ホント)。

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ストーリー展開

 ストーリーについては、
 「皇子がかつての仲間を探しあてる」
 「時間を遡ってオーバーネームを取り戻す」
 「ラストで皇子らがバタバタ死んでいく」
 という骨格だけを決め、あらかじめシナリオを全編書いておくようなことはしなかった。

 フリーゲームを手がけている他の作者さん達がどうやっているのかは知らないけれど、STKHの場合ワイキキは、イベント〜戦闘〜イベントで構成される1マップごとにシナリオを書いており、つくり手としての、そしてゲーマーとしての引き出しを常に試され続けたようなものだった。(行き当たりばったりともいう。)

 とはいえ、前半は、“かつての仲間が今どのような境遇におかれているか”を考えることでシチュエーションもストーリーも自ずと決まってくるし、後半は、最涯ての騎士の活躍という部分に焦点を絞ればよかったので、それほど悩むことはなかった。
 実際には、シナリオに従ってあるマップのプログラムやキャラ配置、戦闘のバランス調整等々をやっているうちに、先々の展開が頭に浮かんでいた感じ。

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前もってストーリーが用意されていた章

 岳漢テリーが亜畏国に落ちのび廃品回収をやっているというエピソード。
 生まれつきアタマが弱く皆にバカにされ続けて育った屑拾いが魔物のいるダンジョンに落ちたことをきっかけに知性が驚異的に向上、そして村人達に復讐を果たすというくだりは、もともとは、第一回のアスキーコンテストに応募するつもりでまとめたシナリオの一部だった。某友人と組んでスーファミのRPGツクールを使ってつくろうとしたのかな。

 オリジナル版では、天才となったルーが抜群の指導力を発揮して、村が町となり、町が国一番の大きな町となるというように飛躍的な発展を遂げる過程も描かれていた。で、ルーは功績を称えられ新町長に選ばれるのだけど、叙任式の最中に暴走する、と。このあたりはSTKHでは省略。
 ルーの妹リタは、オリジナル版ではもっと貞淑な兄思いであり、そのぶん薄っぺらい印象のキャラだった。

 リタが宗教に救いを求めるというエンディングは、ちょっとばかり作者自身のエピソードにもとづいている。
 昔、作者がバイトしていた会社がたちゆかなくなったことがあって、正社員達は示し合わせ、潰れる前に退職金を強引にとって一斉に辞めていったのだけど、その時作者はプロジェクトが佳境だった&物見遊山気分で残ることにした。ところが困ったことに、辞めていく社員にあおられ、突然、同じチームだった女の子までが仕事を放り出していなくなってしまった。で、どうやら彼女はその後、某新興宗教が絡んでいる××サークルに入ったらしい、と。そんな話。べつに誰を非難するわけでなく揶揄するつもりもなく、引き出しとしてしまっておいたエピソードを使ってみただけ。

 ちなみに、屑拾いのルー(♂)と、外伝に出てくるルゥ(♀)とが名前としてかぶることに気がついたのは、外伝の最終章を書いている頃。(カンペキに忘れていた。)

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ある程度前もってイメージがあった章

 元螺旋の騎士JPが極北の女王に捕まっているというイメージ。七人目の仲間が登場するということで中盤のハイライトとなった場面。

 当初からイメージを固めていたシーンだったので、すんなりとシナリオが書けたのを記憶している。
 凍える牢獄で延々と続くJPと女王のダイアログは、STKHだけでなくゲームとしても異色なスタイルだけど、むしろ作者が書く本来のセリフに近い。

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急遽差し込んだエピソード  NEW

 プレイヤーさんから割といい評価をいただいている「巫女の予知夢」。あれはコンテストの募集締切一週間前にひらめいて、友人がテストプレイしている合間をぬって急遽組み込んだ。
 (テストプレーヤー2名はいずれも本来マックユーザーなので、作者のPCを使ってテストしていた。)

 悠久の巫女が七人からオーバーネームを取り上げる理由を補強する意味合いから入れてみた。
 「予知夢」エピソードのおかげで、時間物としての失点を少しは挽回できたと思うがいかが?



憎まれし騎士達を巡る覚え書き

 これまで公式サイトでは、マナミ達脇役に関するネタバラシはしてきたけれど、肝心の憎まれし騎士達七人についてはあえて何も語ってこなかった。
 その理由として、憎まれし騎士達には、それぞれ名前をもじらせてもらった実在の人物がいるからであり、作者が「仲間」と呼ぶ彼等を刺激するのもなんなので、自粛していた部分もある。

 でもまあ、ゲーム本編の公開からそうとう年月が経ち、ある程度時効となったと思うし、外伝によって七人のキャラクターをより掘り下げられたという手応えもあるので、思い切ってそのあたりを語ってみることにする。

 願わくば、親愛なる仲間達がこのページにたどり着きませんように……(笑)


岳漢テリー・テルキン

 モデルは作者の30数年来の友人=幼なじみ。
 イギニオという地名はリアル・テリーが長年住んでいた都内某街のアナグラム&変形で、ゲーム制作当時、彼は会社の男臭い山登りサークルに属し、月に一回は山の空気を吸っていた。180センチオーバーの身長は仲間うちでは最も巨躯……というか、小学校の6年間、彼は常にクラスで一番背が高かったので、“デカぁ!”というイメージがいまだに抜けない……。

 というように、岳漢に関しては、モデルのパーソナルデータをほとんどそのまま反映させてキャラを造形している。
 ゲーム制作という先行きのわからない旅路への不安を隠さんがため、仲間である彼を主要キャラとして伴った……とキレイキレイに言うこともできるけど、実際のところ、とっかかりはただの内輪ウケ(笑)。

 ゲーム本編中のテリーは、仲間達のまとめ役を自認し、時として実質的リーダーとなる存在として描かれているけど、リアル・テリーはどちらかというと集団の中では一歩二歩下がるタイプで、両者のキャラはまったく異なる。
 もっとも作者の知らないところでは、大学の映画サークルにおいて彼が監督をしたフィルムもあったりするらしいので、やるときはやるという感じ……?。

 許嫁、闘技場の女主人、廃品回収業の娘と、ヒロゥズやコンとは違った視点で女性絡みのエピソードが多く、しかもいずれもシニカルな結末となっているのはかなり意図的。ただし、リアル・テリーの実エピソードのなぞりや、彼の恋愛遍歴に対する揶揄はまったくない。
 ちなみに、外伝にて、剣闘士に身をやつし美しい女主人に翻弄されるというのは、PSの某RPGに触発されたもの。一度使ってみたかった。

 必殺技のレヴェリング・ランドは、英国のトラヴェラー達が支持しているバンド、レヴェラーズのアルバム・タイトルから。作者のお気に入り。そういえば、作者が十数年愛聴するアイリッシュ・バンド、ポーグスの存在を最初に教えてくれたのがリアル・テリー。

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大盗賊コン・エイコウ

 “ハーレムづくりに精を出しているどこかオッサンくさい盗賊”……というキャラに誰かしらの名前を借りるのはなかなか難問だけど、“コイツなら大丈夫”という人物が作者の周囲に一人いる。
 モデルは高校時代からの友人、というか、作者とともに劇団を旗揚げした男。リアル・マッチーをのぞいた憎まれし騎士達六人のモデルはすべて作者が主宰していた劇団の男優陣であり、コンに関しては、リアル・コンのイメージを借りてキャラクターを作り上げたというよりは、大盗賊コン・エイコウの配役として彼を選んだといったニュアンスが強い。

 まあそれでも、「若いのにオッサンくさい」「どこか抜けている」「人情味がある」というキャラクターは、作者が考えるリアル・コン像にほど近いかも知れない。外伝にてコンが、ミハルにカッコつけたセリフを吐いた後で、一人身もだえるというシーンは、是非是非リアル・コンに演じさせたいところ。

 女性観についてはリアル・コンよりも、ゲームで描いた大盗賊コン・エイコウのほうがいくぶんか純情のような気がする。
 劇団時代、リアル・コンは女性絡みのことで何度となく作者を憂鬱にし、ついには臨時スタッフとくっついて仲間達の前から姿を消したのだけど、後に、「あらためて(ウチの舞台を)客席から観たら面白かったから」と言って復帰してくれた時にわだかまりはすべて氷解している。

 コンが皇都の闇にひそむカゲの出身で、しかもマカゲだというきわめて重要な背景は、実はゲーム制作終盤に入って思いついたもの。本編においては同じ出自であるギギマルとの対決場面でしかその設定を生かせなかったので、外伝ではもう少し話を転がしてみた。

 必殺技のロイヤルハントは、デンマークのメタルバンド。新日本プロレス、蝶野正洋の入場テーマはこの人達の曲。作者がプロレスゲームでリアル・コンをイメージしたレスラーをエディットするときは必ず蝶野の顔を使ってる。だって、似てんだもん。

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カラクリ師ユー=ジー

 ユー=ジーも配役的に仲間の名を当てはめたものだけど、カラクリ師という設定はリアル・ユーの職業を踏まえている。
 彼は仕事として長年TVや映画のビジュアルエフェクトをやっていて、戦隊モノやゴジラ映画、インディーズ映画のスタッフロールにユー=ジーの元となった名を見つけることができる。舞台に上がっていた当時は「早い、安い」のアナログ作業でフィルムに光線などを描いていたけど、さすがに今はデジタル処理をしているのかな。

 あと、キャラ画像で目が細っこいのは本人の外見的特徴。“目がパッチリなのはユー=ジーじゃないやい”ということで、ツクールのサンプルを手間かけていじった。

 ゲーム本編でのユー=ジーに関しては、制作後、ちょいと引っかかるところが生じてしまった。愚者の討伐後、なぜユー=ジーが再び皇子達と行動を共にするようになったのか? 本編で匂わせているJPへの贖罪という理由は、作者的に、あまり説得力がないような気がしてしょうがなかった。

 というわけで、外伝では1章かけてユー=ジーのエピソードを補強してみた。その手のファンには定番の、ロリっぽい美少女をカラクリ師のファム・ファタル(運命の人)にしたのは、読者ウケを狙ったのではなく、リアル・ユーが、仕事を通じて出会ったアイドルタレント達のことをしょっちゅう口にしていたことから。

 アイドル好きで異性と出逢う機会がそこそこあっても、リアル・ユーはけっして恋愛が器用というわけではない。作者は、10年以上ひたすら一人の女性を想い続け、そして壮絶に玉砕した彼を知っている。海外留学中の相手にまめに手紙を出したり(涙)、わざわざ某国語を学び、彼女の留学先まで訪ねた一途な想い(涙、涙)。ゲーム本編中、「手紙なんか書くのはユー=ジーだけだ」という意のセリフがあるのは、このエピソードをもとにした内輪ウケだったりする。
 そこまで惚れてくれる相手をそでにしたということで、リアル・ユーの想い人に対しては、“女気”が無いなあと苦言を呈したいんだけど、一方で、作者の妹分でもある彼女の気持ちもわからないわけではない。

 必殺技のヴェルベット・クラッシュは、アメリカのバンド。作者のお気に入り。リアル・ユーはマイケル・クライトンを高く評価しているそうなんで、ライジング・サンにしようかと思ったが、結局やめた。(アンドロメダ・・・とかね。)

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鉄仮面ジュン・ポール

 仮面=ペルソナという言葉に、哲学や心理学的な記号を見出す人もいるかも知れないけれど、JPの場合、単純に、モデルである男がSSマシーンというメカっぽいモチーフの覆面レスラーを好きなことによる。
 名前のポールはリアル・JPの洗礼名、パウロの仏語読み。だが彼が敬虔な人間だという話はまったくもって聞いたことがない。

 鉄仮面のキャラがモデルと合致するところは皆無で、「悪い人ではないが、人が悪い」「あえて人に誤解されようとする」というリアル・JPのナチュラル・シュートな人となりは、むしろ蛙皇子に活かされた感じ。
 設定がラフなだけに、実際のところ鉄仮面は、ゲーム本編において“故国でとっつかまって、ヒロゥズと絡む”ぐらいの役割しか与えられてなく、憎まれし騎士達の中で最もカゲが薄いキャラだと思う。

 虜囚となる章は、当初の構想では、鉄仮面がただ極北の舞国軍に捕まるだけのエピソードだったけれど、Sの女王様とのダイアログを中心に描くことで多少は話をふくらますことができた。
 劇団では没にした二人芝居用の脚本があり、そのセリフのリズムや、真情を押し隠して男を傷つける女性キャラの雰囲気を取り入れてみたので、ゲームとしてはちょっと異色なノリのシーンかも知れない。

 もう一つ、印象に残るダイアログといえば、鉄仮面が聖宮の離れに蛙皇子を呼び出し、グダグダ訴えかけるシーンか。外伝で“完璧超人化”(笑)しているJPと軟弱マッチーの絡みを書くたび、本編での、あのなんとも情けない姿が頭に浮かんできて可笑しくてしょうがなかった。堅く冷たい仮面の下に隠された女々しさをマッチーだけが知っている、というのはなかなか興味深い。

 鉄仮面についてゲーム制作中盤まで悩んだのは、やはり、「JPはヒロゥズが探している兄さんか否か」の結論。鉄仮面がヒロゥズを殺めることとなるのだけは既定路線で、変えるつもりはまったくなかったのだけれど、果たして兄弟殺しとして描くべきかどうかで逡巡してしまった。やっかいなことに、JPとヒロゥズはリアルのほうで実の兄弟だったりするわけだから。
 結局、さすがに洒落にならないと思って一ひねりしたわけだけど、その結果、JPが村の若衆ではなく元親衛隊長であったという設定、外伝でのスコットとの因縁にうまくつながったので、まあ良しとしたい。

 JPがヒロゥズ兄の右腕を接がれているというエピソードは、マニア人気が高い市販の某RPGにも似たような展開が出てくることを制作後に知った。
 そのゲームでは主人公である女の子が唐突に父親のぶっとい腕を移植されるのだけど、ただそれだけで、そこから何も話が転がっていかない(らしい)。要は不条理ギャグ的な味を狙ったんだろうけど、だったらH・ハリスンの「宇宙兵ブルース」のなぞりとなってしまうわけで、非常にこそばゆいものを感じてしまった。この点だけはJPのエピソードのほうがうまくできていると思う。

 必殺技のノヴァは、サミュエル・R・ディレィニー作の長編小説からの引用。この小説のイメージがあまりにも鮮やかなので、作者はノヴァという言葉が好きなのだが、世間ではそうでもないらしい。

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悪行騎士シーゲ=シーゲ

 名前は作者のイトコから。一時期声優志望でN芸の演劇科を目指していたこともあったので、作者が劇団に引き込んだ。リアル・ユー=ジーと同じ専門学校を一年で辞め、実家に戻って大学に入り直したので、舞台に上がったのは結局1、2回だけだったと思う。バイク乗りで当時愛車だったのが、スズキのカタナ。

 カタナというキーワード以外、モデルのデータを悪行騎士に活かした部分はまったくなく、そのためキャラクターとしてなんの縛りもなく動かすことができた。

 悪行騎士と悠久の巫女のカップリングは無茶と言えば無茶、強引と言えば強引。かといってそこに葛藤や、周囲との軋轢といったエピソードが見られるわけでもない。考えてみれば、ヒロイックファンタジーの王道としては、救世の巫女とお近づきになるのは主人公であるマッチーの役割なんだろうけど、そんなことは当時思いつきもしなかった(笑)。
 シーゲを巫女とくっつけたのは、そうでもしなければシーゲが皇子達と再び行動を共にする理由がなかったから。ただそれだけ。
 なぜ巫女が娘の父親としてシーゲを選んだかはSTKH中最大の謎とも言えるので、外伝では、本編で描けなかった二人の絡みを柱の一つとしてみた。

 ちなみに、昨年あたり、DVDで一連の仮面ライダー物をよく視ていたので、外伝におけるシーゲのキャラは、某脱獄囚ライダーの影響を大なり小なり受けているはず。

 必殺技のソニック・ライドは、2つのバンド名の合体。いずれもリアル・テリーのお気に入り。リアル・シーゲがどういう音楽を聴いているのか、作者はまったく知らない

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色事師ヒロゥズ

 慚愧に耐えない、というのがゲーム本編のヒロゥズに対する作者の率直な感想。
 色事師を名乗らせておきながら、こんな大人しくていいのか? リアル・ヒロゥズから名を借りておきながら、かくも品行方正でいいのか?
 たしかに旅の先々で女性に手を出しているらしい描写こそある。大盗賊のハーレムにて、女性に対する恐怖心を植え付けられたというエクスキューズもある。だが、あのヒロゥズならこ〜んなもんじゃないってば。

 必殺技のニルヴァーナは、もはや説明するまでもない、ロック史に残るバンド。マッチーのモデル、M君がお気に入りだったはず。このバンドもヴォーカルが自殺したことで有名。訳すと涅槃、というか、アレのときの絶頂の意。だからヒロゥズに選んだ。

 リアル・ヒロゥズは実の兄貴であるJPがうちの劇団に連れてきた。最年少ということもあって、内部の人間に手を出すことはなかったのだけど、その華々しい遍歴は否応なしに逐一耳に入ってきていた。単に女性にだらしないナンパな奴だったら“まだマシ”なんだろうけど、相手をかえるたびに、いちいち笑える逸話&痛い話を残してくれるので、JPをはじめ周囲の人間はハラハラし通しだった。
 リアル・JPによると、舞台を降りた後も、ボランティア活動に参加してグループの仲間や心をちょっぴり病んだ女の子に手を出しまくったとか、PCを買うなりすぐさまマジメな出逢い系サイトで暴れたとか、テレクラのサクラにストーカーされたとか、その手の話題はつきないらしい。

 そうした節操のなさ、傍若無人ぶりをゲーム中描けなかったのはともかく残念。外伝の無軌道な色事師ぶりこそ、リアル・ヒロゥズに近いのは間違いない。

*最近、久々に会ったリアル・ヒロゥズが自慢げに曰く、「今のカノジョ、体重120キロあるんだ」。根はけっこういい奴なんだと思う。

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蛙皇子マッチー・シン

 名前のモデルは唯一劇団の男優ではなく、公演のチラシを何度か手がけてもらったことがあるデザイナー氏。
 もっと言えば高校からのつきあいで、十代後半から二十代にかけて、作者に多大なインスピレーションを与えてくれた人物。劇団主宰者だった作者の他にも、ミュージシャンの卵、グラフィックデザイナー、後にベンチャー企業を興したプログラマー、ナルシストのフリーターといった人間達が、当時どれだけリアル・マッチーの影響を受けまくったことか。

 一時期彼が有名な先生のアシスタントをしていたことから、その伝で、演劇専門誌の編集部を紹介される → 本誌とムック本に掲載 → 某メジャー一般誌の目にとまる → 特集に掲載という、無名の小劇団には思いも寄らないコンボが発動したので、劇団としても、彼にはもうただただ感謝するしかない。

 王道路線の主人公らしからぬ蛙皇子という間が抜けた設定は、リアル・マッチーが長年カエルグッズを蒐集していることから。最初は内輪ウケ&ちょい揶揄以外の何者でもないはずだったのに、話が進むにつれ、いつの間にか「蛙」ということの象徴性が意味をなしてきて、皇子のキャラを規定していったのには作者自身驚いた。
 (そしてなお、魔物を愛でるサーシャ嬢に、蛙皇子と同じ構図を見出し、二人を表裏一体の存在と看過したプレイヤーさんにはひたすら感服させられた。)

 ゲーム冒頭におけるクーデターの自作自演は、「後付けでは」と指摘されたこともあるけど、制作当初からしっかりと考えに入れていた。邪の螺旋とその眷属が復活したのと、マナミとカオルがついてきてしまったのは、マッチーにとって想定外。
 あとの章で、ユー=ジーをはじめいろんなキャラが蛙皇子のことをアレコレと評するのだけど、マッチーの思惑を知った上でそういったセリフを読み直すと、けっこう笑える。みんな、騙されてるぞ、と。

 「本心をひたすら隠す」「他人に誤解されるのを楽しむ」といった人の悪さは、キャラとしての蛙皇子特有のもので、リアル・マッチーにはそういう傾向は見られない。スローライフの実践者という点では両者は共通だけど、リアル・マッチーには生活のリズムを同じくする素晴らしいパートナーがいてくれる。そこが蛙皇子とは大きく違うところ。

 そのパートナーさんへの遠慮もあって、ゲーム本編には、マッチーが女性と絡むエピソードをまったく入れていない。物語の途中で二人の人物(♀と♂)に若干すり寄られるものの、それ以上の発展はなし。

 必殺技のジョイ・ディビジョンは、今はなき英国のバンド名から。ヴォーカルが自殺して解散。リアル・マッチーのお気に入り。

 STKHのストーリーとは、ある意味、蛙を愛する者に惹かれる人間達を描いたと言えるかも知れない。 ひと癖もふた癖もある憎まれし騎士達が何故蛙皇子と行動を共にしたのか。力を失った後、何故彼らは再び皇子の元に集ったのか。
 これは、二十代にして半ば隠遁生活を送っていたリアル・マッチーながら、その周囲には常に上記の人々がいた、ということとも符合しそう。