第8回  正解
香港のプレイアートでした。




ギャランGTOとホットパンツとの間にあるもの


■三菱ギャランGTO(69〜77)は、もはやあえて説明するまでもないジャパニーズ・ヒストリックカーの雄であり、なかでも70年12月に発売されたMRは国産DOHCエンジン車のはしりとして高く評価されています。

■GTOという名称は、フェラーリが使うGTO(GT Omologate)などとは異なり、とくに何かの略を示すものではないようです。試作段階ではGTX-1と、実験戦闘機を連想させるようなコードネームがつけられていました。MRは、Motorsports and Rallyの頭文字をとったもので、スパルタンな性格を直截にアピールしています。

■昨2002年にはTVドラマで73年型2000GSが脇役として活躍し注目を集めたそうですが、ふだんTVがただのモニター化しているワイキキ家には別世界の話です。

■むしろギャランGTOといえば、ワイキキには「ワイルド7」の表紙に描かれた、白いMRの高々と突き上げられたリアスタイルがひたすら印象深いです。というか……今から思えば、車の横に配置されたホットパンツ姿の女性キャラとのコントラストがあまりにも絶妙な構図でした。


小スケールモデルのGTO


■ヒストリックGTOの小スケールモデルは、トミカとプレイアート以外にダイアペット・チェリカ製があります。

■面白いことに、GTO-MRの純正色であるケニアオレンジ&黒ストライプ、ロッキーホワイト&オレンジストライプを再現したモデルは存在しません(トミカJrにはあり)。トミカの金型が魔都のどこかに消えた今、MRらしい色とストライプをまとったモデルは新作を期待するしかないようです。


魔都香港


■今でこそ正規にライセンスをとったミニカー、フィギュア、その他諸々のコレクターズアイテムの生産拠点としてゆるぎない地位を築いている中国ですが、返還前の香港、こと70〜80年代の同地と言えば、国際条約を批准していないこともあって、かぎりなく黒に近いグレイでチープな工業製品をおびただしく世界中に輸出する、まさに魔都でした。

■とはいえ、“ミニカー暗黒時代”にあっても小スケールを中心に数々のモデルを作り続けた一大生産地であったことにはかわりなく、トミカのラインナップだけではどうにも物足りなかったワイキキ少年の渇きを大いにいやしてくれる憧憬の地でもあったのです。

■ウイングレスのイオタをマトモな形でリリースしてくれたのはかの地のヤトミンだけです。リントーイ金型のディノ246GTは京商版が出るまで長らく小スケールで唯一無二のモデルでした。某ブランドの某コンペティシオーネはイタリー製1/66より格段にスタイルが良く、914コンセプトのタピロ、デローリアン、フォードのEXP、リジェJS3といった珍車も数多く送り出されました。旧車ファンには、アルファ33ストラダーレ、60年代のスティングレイ、シェビー・ノバSSetcに加え、初代シルヴィアの存在も見逃せません。

■そして、希少車や希少に近いモデルをあまたリリースしているプレイアート……。

VWポルシェ914タピロ(某ブランド) リジェJS3(ティントイズ)
アルファロメオ33(某ブランド) ニッサン・シルヴィア(トートシィ)


ポケッター、プレニカ、プレイアート……


■スーパーカーブームのまっただなかにミニカーを集めていたかつての少年達にとって、プレイアートの名ははかなりなじみある存在でしょう。子どもの頃過ごした地域によって当然差はあるのでしょうが、トミカ、マッチボックスに次ぐ身近なブランドであったといっても過言ではなく、むしろ当時ホットホイール(当時はミニカ)やマジョレットは一般的にはマイナー寄りの部類でした。
                     
■というのも、プレイアートはポケッターなどの名で街の玩具店に並び、品質的にはそこそこにしても、トミカやマッチボックスより若干安価で売られていたのです。より正確な表現を期せば、ほとんどの店で“売れ残りの定番アイテム”だったという感じでしょうか。

■プレイアートは数多くの変名を持つことで知られており、海外では、ファストホイール、ピーラーズ、ロードメイツ、フリーウェイフライヤーズ、フリーホイールフライヤーズ、そして販売先であるスーパーマーケットの名がついたウールワースなど、様々なブランド名が箱やカードに記されました。MY COLLECTION第2回でランボのシルエットを希少車ではないと書きましたが、それもカードにあるブランド名の違いだけなので、どうやら希少とみなしてよいようです(訂正その1)。
                     
■我が国にも、何度か輸入され、その都度、チミカ、プレニカ、プレイアート、ポケッターの名がつけられました。
                     
■ただし、販売先の名を新たに彫刻したり、製産メーカー名を削る一般的なOEMとは異なり、シャーシーには一貫してPLAYARTの文字が刻印されているようです。


我が国からながめたプレイアート概史


■プレイアートは60年代末に香港で誕生しました。初期のモデルには、贅沢にも車軸の上にディスクをかぶせた2ピース構造のホイールが奢られ(7109番参照)、グリルやバンパー、ヘッドライトが銀メッキプラで作られたり、ボンネットやカウルが開くなど、なかなか凝ったつくりをしています。

■海外ではこうした2ピースホイールの初期48モデルをコレクターズアイテムと見る向きもあります。また、ボディが通常品より明らかに小ぶりで内装が省略されたモデル群もあったようですが、その詳細はよくわかりません。

■車種としては、アメリカ市場、日本市場を意識してマッスルカーや日本車が多く目につきますが、ジャパニーズカーについてはトミカのラインナップと妙にかぶっており、ちょっとした疑念が頭をよぎります。一方で、2000GTのコンヴァーティブル、ホンダS800、Gノーズのない240Zといった独自のモデルも存在し、そのエンスー心をくすぐる車種選定の素晴らしさはもっと高く評価されてしかるべきだと思います。(プレイアートのS800をトミカのコピーと断じているサイトもありますが、明らかに過ちです。)

■70年代に入ってからリリースされたモデルは、画像のGTO-MRに与えられているような大柄なホイールとなり、このため悲しいぐらいなまでにスタイルがスポイルされています。我々に馴染みのあるポケッターはすべてこのタイプのホイールですので、ポケッター時代のモデルを見ただけでプレイアートの出来を評価するのはたいへん危険です。この時期には、日本車に加え、DAFやフィアットディノ、BMWスパイカップ、ホンダZ、ローバーの2000TCといった珍しいモデルがリリースされています。

■我が国に数多く輸入され街の玩具店に並んでいたのは70年代までで、スーパーカーブームがとうに去った80年代となると、専門店が持ち込んだものをのぞけば、ガシャガシャの景品としてごく一部が上陸しただけのようです。

■ところがこの時期には、カウンタックや512BB、パンテーラ、928、ロータスのエリート、エスプリといったトミカにもあるモデルだけでなく、A110、アルファのGTV、フルヴィアHF(!)、ランボのシルエット(!!)といった希少なモデルがリリースされています。加えて、A310はノーマル版が存在し(訂正その2)、ストラトスはスポイラーのない独特のレーシング仕様となっています。

■このように80年代にはスーパーカーブーマーあがりのコレクターにとってキラ星の如きモデル達が作られていましたが、残念ながら、ミニカー暗黒時代が終焉を迎える前にプレイアートは消滅します。香港が中国に返還され、魔都でなくなるのはもう少し後のことです。









魔都から来た……幻影


■現在30代のワイキキは多分にもれずスーパーカーブーマーです。
そんなワイキキが長年探し求め、恋い焦がれるプレイアートの一台。
その名は……ランボルギーニ3000シルエット。
輪郭という名の猛牛。あるいは幻影の猛牛。

■……プレイアートのシルエットとの遭遇は、まだ高校生の時分でした。遭遇というよりは、すれちがったような気がしただけというのが正解でしょう。某専門店で80年代プレイアートが10台ぐらいセットとなって吊り下げられていたのを見かけたのです。バラ売りはしないことが大きく書かれていて、たしか三千円だったと思います。

■ところがその時は、「あ、プレイアートにBB512やロータス・エリートがあるんだ〜」程度にしか感じませんでした。というのもあいにくその日は、ポリスティル・アルファ6台揃い(MY COLLECTION第1回参照)を購入することで頭がいっぱいだったからです。予算的にもポリスティル・アルファをとるかプレイアートをとるかのどちらかで、ためらうことなく本来のお宝を選びました。プレイアートの10台セットにシルエットらしきモデルが入っていることを思い出したのは、数日経ってからのことでした。

■専門店を定期的に巡ったり、初期のワンダーランドに5〜6年通い詰めたりしましたが、その後シルエットを見かけたことは一度もなく、どうにも確信が持てませんでした。跳ね馬GTOのときもそうでしたが(笑)、あれは自分の願望が生んだ幻だったのではなかったか、と。

■例によって、ネットに接続するようになってからのことです……プレイアートにシルエットが存在するという事実をはっきりと知り、その幻影に恋い焦がれるようになったのは。

■そして、一昨年のことです。
ワイキキは次のような体験をしたのです。


たとえば、こういうファンタジー


■……日曜の午後、退屈しのぎに東京ディープサウスから離れたワイキキは、川の向こうに遊びに行くことを思いつきました。
飲み屋に通わない、ギャンブルをしないワイキキにとって、遊びに行くとは、第二に、ミニカー専門店をのぞくことです。(第一はナイショ)

■大気汚染で有名なその街は、国や企業の支援をふんだんに受けたのか、駅前から市庁舎あたりまで大々的に区画整理され、整然とした街並みが広がっています。四車線道路も歩道も幅広く、丹念に植えられた銀杏並木が道行く人の目から煤煙まじりの空をかくしています。
しかしその日は、なにひとつかくす必要のない青空でした。葉っぱの間から、幾筋もの光線が歩道に向かって伸びているようでした。そんな中をワイキキは歩いていきました。

■……突然、ピークエクスペリエンスが訪れました。

■ピークエクスペリエンス。至高体験とか訳されるものです。
圧倒的な至福感に心身ともに包み込まれているような状態。
それに理由などはありません。銀杏並木もアスファルトも、目に見える物すべてが、ただただ輝いています(某劇薬で瞳孔が開きっぱなしになった感覚に似ています)。

■そんな状況の中、ワイキキは思いました。崇高なる存在への感謝ではありません。世界との一体感などでもありません。故なき確信。
“……今日こそ、シルエットが手に入るな”、と。
嗚呼、なんと哀しきコレクターの性。もうちょっと形而上的なことでも思えばいいのに(笑)。

■と こ ろ が。
そのときのことです、幸福感に満ちたまま専門店に行こうと逸るワイキキの目に飛び込んできたんですよ。
歩道に半分乗り上げて停まっている、真っ赤な車が。
闘牛士がかかげるケープのように赤い、ランボルギーニ・シルエットの姿が!

■2001年のK市街に、70年代末につくられたイタリアン・スーパーカーが停まっているのです。
心の中で幻影の名を唱えた男の目の前に、その幻影が現れたのです。
これはなにかの啓示でしょうか?
これはなにかの福音でしょうか?
もはや故なき確信などではありません。そこには超越的な摂理がありました。
ワイキキは、“ミニカーの神”の手にふれたのです。
選ばれし者ワイキキは、いつも以上に小躍りしながら、街外れにある専門店へと向かいました。
…… …… ……
…… ……
……


■さて、この話の結末はと言いますと、あえて語るまでもありませんね(笑)。

■“ミニカーの神”は、ひたすら残酷で、迷える羊達をいつもいつも振り回してくれます(笑)。


それはもはや、運命の……?


■このような「ポリスティル・アルファとの両天秤」「K市街のピークエクスペリエンス」によって、シルエットへの想いは、ワイキキの中でとてつもなくブーストアップされてしまっています。

■実際、ワイキキの想いほど稀覯性が高いわけではなく、もっと高く評価されているモデルは、これまで紹介したMY COLLECTIONの中にすらいくらでもあるでしょう。

■当サイトのゲーム掲示板で、ワイキキがつくる物語世界を構成する重要な一要素として、ファム・ファタール(運命の女)があるのではないかという指摘を受けたことがあります。

■あるいは魔都からやって来たシルエットも、ワイキキにとって運命の一台、ファム・ファタールなのでしょうか。
そして、プレイアートとは、多くのコレクターにファム・ファタールの微笑みを投げかけ続ける、狂おしい存在なのかもしれません……。


小ネタを一つ……
ネットでミニカー情報を検索する際、playartはかなり利便性が高いキーワードとなります。
playartと自動車メーカー名、あるいは車種名を組み合わせると、けっこうな頻度で、特定車種だけ集めているコレクターさんのサイトがヒットします。ワイキキはこれで、ポルシェ914専門サイト、ランボルギーニ専門サイトなどなどを発見しました。
それだけ、プレイアートが多種多様のモデルを出しており、また、その存在が世界中のコレクター達に認知されているということです。
ただし、プレイアートは流通している数の割に、1モデルあたりのカラーバリエーションが相当ありますので、○○専門コレクターさん泣かせの存在でもあります。




■MY COLLECTIONも第8回目にしてようやく欧米から離れ、いかにも“第三世界”の名にふさわしいブランド、ふさわしい国を扱うことができました。ところが、プレイアートを中心とした70〜80年代の香港物は、一括してダンボール箱に詰め込み保管しており、まだまだ未整理状態です。

■とりあえず今回は、本稿のため箱から出しておいた一部のモデルからご紹介することとし、後日、徐々に追加していくこととします。
では、魔都香港が産み落としたプレイアートの逸品、珍品をどうぞ……。



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上記内容は、すべてワイキキの記憶にもとづくものであり、
事実誤認、歪曲、欠落等がありましてもご容赦ください。
あるいは、すべて創作かも知れません。