たとえば、こういうファンタジー。
……日曜の午後、退屈しのぎに愛車のハンドルを握ったあなたは、今まで一度も訪れたことのない隣街に行ってみることを思いつく。
見知らぬ道、見知らぬ街並み。わずかに覚える解放感。はじめて見る風景は必ずどこかデジャヴを孕んでいる。あなたは、前方から勇ましくやってくる510SSSに軽く口笛を吹くと、ダッシュボード上に長い間ほおっておいたピース缶にいつの間にか手を伸ばしている。
なにをしても上手くいくような高揚感。男達がある種の啓示を受ける瞬間。
あなたはそれまで知らなかった公園の大広場に人だかりを見つけ、いきなり愛車を路肩に止める。
フリーマーケットだ。
業者らしき人間の多さに鼻白みながら、ときおりあなたは足を止め、若い出店者に言葉を投げる。
“おいおい、そりゃ48台セットのうちの1台だろ?”
“その50円しかしないマッチボックスは、アンタよりはるかに長生きしてるんだぜ”
“本当にレアなのは、そういう値段をつけるアンタのオツムじゃないかい?”
もちろん、すべて心の中の声だ。
あなたはふと広場の片隅に目をやる。フリマなどという言葉を一生使うことのないお祖母さんと、孫らしき8つぐらいの男の子が簡素な店を広げている。 おもむろにあなたは彼らに近づき、腰をかがめる。
“キレイだねえ、これボクのかい?”
無造作にピクニックシートに並べられた金色のミニカーを指さしながら、あなたは男の子にたずねる。
“いーえ、みんな売り物ですよ”愛想良くお祖母さんが言う。
“オジイちゃんちのだ”男の子が続ける。どうやらお祖母さんの死んだ旦那がその昔玩具店を営んでいたらしい。
200円と値段のついた金色の同じミニカーが10台、そしてお祖母さんの背後にある黒い箱の山。あなたは息が詰まるぐらいの胸の高まりを感じながら、ためらうことなく言う。
“全部でいくらになるか計算できるかい、ボク? うん、全部もらおうか”
あえぐように声がかすれてしまうのが情けない。
“懐かしいミニカーだからね。友達にもわけてあげようと思うんだ”
“オジサンみたいな大人が友達にミニカーをあげるの?”
“ボクにもいつかわかるさ”(いろいろな意味でね)
すまなそうに値段を告げてくるお祖母さんに一万円札を押しつけ、釣りはいらないからとあなたは口早に言う。
手が大きく震えるのを必死で押さえながら、あなたは何十という黒い箱を紙バッグに詰め込む。男の子の不思議そうな、そしてどこか淋しげな視線を背中で感じながら。
やがてあなたは立ち上がると、息を大きく一つつく。
あなたは振り返って男の子の手をとる。
男の子は、掌に乗った金色に輝くミニカーをじっと見つめる。
“ボクにも一台あげなくっちゃな”あなたは言う。“お爺さんが大事に大事にしていたミニカーだからね、ボクにももらってほしいんだ”
つつましげに異議を唱えようとするお祖母さんに笑みを返し、あなたは男の子に続ける。
“これ、なんという車か知ってるかい?”
“ううん”
“じゃあ、おぼえておくんだよ。このミニカーはね、大昔の車でね、ぎゃらん・じーてぃーおーって言うんだよ”
愛車に飛び乗ったあなたは、広場のほうで古物商らしき人間達の騒ぐ声を耳にしながら、勢いよくアクセルを踏み込む……。
………
……
…
場面としてはフリマじゃなく、元玩具店の駄菓子屋といったあたりでもOKでしょうか。
現実として、まずこのようなシチュエーションはありえないことを我々コレクターはよく知っています(笑)。だからファンタジーなわけですね。
トミカの“黒箱”……それはもはやコレクターズ・アイテムとして十分認知され、業者筋にはしっかりと目をつけられています。ましてや香港トミカ、なかでも30番のギャランGTOは、マニアですらほとんど入手をあきらめている幻のモデルとしてあまりにも有名です。
トミカのギャランGTOを所有しているコレクターといえば、発売当時から集めている年季の入った方か、金に糸目をつけず買い漁ることができる方、すなわち専門店やオークション出品者にとってとびっきりの上客、そのどちらかに区分されることでしょう。そのどちらでもないワイキキは、かようなファンタジー空間をさまようしかないわけです。
だがしかし、幸いなことに、ファンタジー世界の囚人であるワイキキでも、ギャランGTOのモデルは手にすることができます。海外のとあるブランドからリリースされた画像のGTOは、シャープさではトミカに到底かないませんが、それなりに実車の特徴をよくとらえています。値段に目をつむれば一応の流通ルートがあるトミカ版とちがって、いざ探そうとするとなかなか難しいものがあるこのモデルのほうが、ある意味レアなのかも知れません。
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さて、このモデルのブランドは? |
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